32分休符

感想を述べていこうと思います

料理下手のふだんの料理

我が家は現在、私(育休取得中、復帰はたぶん来春)、夫(フリーランス。昼夜家で食べることが多い。朝は食べない派)、娘(絶賛ハイハイ中の8ヶ月。BF拒否)という構成です。料理担当は私で、夫は鍋と炒め物くらいしか作りません。

以前は外食が週3くらいでしたが、妊娠中〜現在は家族での外食はほぼゼロで、料理が苦手な私が作っています。

来春の復帰に向けて、自分や家族の向き不向きを踏まえて日々の調理を回していくうえでのポイントを覚え書き。本当に料理が苦手で嫌いなままアラフォーになってしまったダメ人間が書いているので、お料理が人並み以上にできる方は一笑に付してください…。

 

・一汁一菜でいい

そうです、土井善晴先生です。というか、一汁一菜以上は絶対につくらない、くらいの気持ちで。食卓を貧相に見せないポイントは、汁物の具は思い切り大きく切ってお椀ではなく深皿に盛る。

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大根なんか、ちょっとしたおでんか?くらいの大きさで切る。写真は豚汁だけど、豚肉も薄切りじゃなくて豚肩ロースとか使う。味噌味がついた汁多めの煮物みたいな感覚で。うちは夫が極度の猫舌なので、お椀より皿の方が早く冷めていい、という利点もあります。

Twitterで「料理が下手な人は出汁をとらない」というのが流れてきて、これはまさに私のこと…と冷や汗をかいたのですが、出汁の素じゃなくて、出汁パックで出汁をとると汁物って全然味が違うんですね。

 

・作り置きをしない

これは、できる人はどんどんやったらいいんだと思います。私はどうもタッパーに入れてあるおかずが冷蔵庫に入ってると、食べなきゃ、というプレッシャーで気が重くなるのと、レシピに「冷蔵庫で5日ほど保ちます」と書いてあっても、2日目あたりから「本当に大丈夫か?」と匂いをかいだりして、そうするとなんだかおいしい気がしなくなってしまうので(もともとそんなにおいしくない)、すっぱりやめました。ブロッコリー胡麻和えとか割と好きなんだけど、どうしても作り置きすると水分が出てきて、そういう見た目も私の「大丈夫か?」という気持ちを加速させる原因になるので。今のところ、その日に作ったものはその日に食べ切るのが原則。いつか料理が上手(せめて好き)になったらここは変わるかな。

 

・メインはステーキ、刺身を多用する

各社料理キットも使ってみたんですが、手際がよくない私がモタモタと手順書を読み、たくさんある小袋を開け、指示通りに素材ごとにレンジで解凍や加熱をしたりしてると、案外時間がかかる。そして、自分が作りなれたものを作るときは完成形を知ってるけど、料理キットは料理名からおおまかな味は予想できても、基本的に未知のものが出来上がるので、「ふーん、なんだか甘辛が過ぎる気もするけど、これはこういうものなのか…へー…」とすわりが悪い感じで食事が終わってしまう。

で、つくりなれたものってステーキと刺身かよ!!というヒドイ話なんですが。

 

・流しでトマトを食え

一汁一菜だと生野菜の入る余地がなくなるんですけど、夫も私もあいにく生野菜がわりと好きなんですよね…。でも鉄の掟で一汁一菜なので。あと、野菜サラダって案外手間かかりません?そろえて薄切りにするのも難しいし…(私には)。素材によっては塩もみしなきゃいけなかったり。一番面倒なのは水気をとること。まな板とか流しとか手とか、全てがずぶ濡れの調理中にキッチンペーパーで野菜の水気をとるの、地味に時間かかる、ほんと嫌。

だから、生野菜はミニトマト一択で。しかも皿も出しません(一汁一菜なので)。食前でも食後でも通りがかりでも好きなタイミングで流しで洗ってヘタを取ってそのまま食べてください。調味料も使わないのでヘルシー!

 

以上が育休も半分ほど過ぎた時点での我が家の状況。1年後にはどうなってるかな?

願わくば娘の離乳食がすんなり完了して外食をちょいちょい楽しめる生活に戻りますように!

名前

娘の名前は夫が決めた。

夫は記者、私は校閲なのでどちらも言葉にまつわる仕事をしているし、響きや文字にこだわるのはいつも私の方なので聞いた人は意外だと言うけれど、それでよかったと思う。

私がつけたら、漢字に思い入れがあるあまり、洋服やアクセサリーを選ぶときみたいに、(センスがいいか悪いかは別として)手頃だけど少し贅沢な感じで、名字と並べてもきりりと締まるとっておきの名前を苦労して考えただろうけど、そうすると完全に私好みの名前を持つ娘を呼ぶたびに所有している気分になりそうだから。

母が娘を所有物のように扱うのはとてもよくない気がするので、夫がつけた「なんとなくかわいいし、かわいい人に多い気がする」というだけの名前は、変わった名前ではないけれど予想外だったので、娘といえどもこの子は突然やってきた自分とは別人格の女性、ということを私に何度も思い出させてくれてよい。

☆ ☆ ☆

今日は土曜で、夫が娘を2時間ほど見たので、池袋でピンク色の夏物のアンサンブルニットを買って(子供を産んでから買い物がとても早くなった)、家の向かいの喫茶店でお茶を飲んだ。喫茶店に置いてあった本は数年前にヒットした『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』だった。おもしろそうだけど、みっちり詰まってるタイプの文体で、しかも翻訳小説だと娘の相手をしながら読み進めるのは難しいだろうなと思ったけど、どうせ読みきれないのに何十ページか読んでしまった。なんなんだこれは。なんの時間なんだ。

「お母さん」でいるときは「お母さん」ではない時間に憧れるし、そういうときはピンク色のニットとか着たくて、でも一人になってどうしてもやりたいことは特になくて、スマホに入ってる娘の写真や動画を眺めたりするし、かといってコーヒーが飲めたら満足というのもまた違ってて、どの道もちょっといったら行き止まりになってる感じがする。

夫と娘と3人でベッドで寝転んでるときは、いつか夫に先立たれて娘が独立して一人で寝るときは、この時間のことを信じられないほど幸福な一瞬として思い浮かべるのかなぁとも思うし、未来に視点を置いてまで現在の自分を幸福だと評価するのは、今を慰めてるだけなのかなとも思う。一瞬一瞬を電気ショックに打たれるようにまぎれもない幸せだと信じられたらよいのにね。

料理下手のおもてなし料理

昨夜は夫の職場の後輩2人とわたしの職場の先輩を招いて5人でご飯を食べた。

客が少ない家で育ち、料理より掃除が好きなほうなので、この「家に人を招いて手料理を食べさせる」的イベントが結婚当初はすごく苦手だった。ちなみに夫は来客が非常に多い家で育ち、バックパッカーをやっていたので若い頃は自分もまわりも収入が不安定で、飲み会といえば家飲みがメインだった人。そのせいか、夫の友達には男女問わず料理上手が多い。

招いたり招かれたりしているうちに、料理下手なりのおもてなし方法が少しみえてきたので、備忘録のためにメニューを毎回記していこうと思う。

 

1、メインには自分の味付けができるかぎり不要なものを選ぶ「しゃぶしゃぶ」

夫がカタログギフトで注文した黒毛和牛があったので心強い。私の準備は土鍋に昆布を敷いて鶏肉を煮込んで出汁をとっておいたこと、野菜(水菜、エノキ、ネギ)と豆腐を切ってバットに並べておいたことだけ。おもてなし下手で緊張するので、人が来る前に野菜のカットも全部済ませてラップをかけておく。

味付けは独身時代から愛してやまない旭ポン酢と、こないだ友達から内祝で送られてきた茅乃舎の胡麻ドレに任せる。ちょっといい調味料は見栄えもよくなるので大事。

メインはほかに、焼き肉のこともあれば、これは味付けは多少必要だけど、人が来る前に完全に仕上げられるので気が楽なおでんのこともある。すき焼きは絶対にやりません。あれは出たとこ勝負だし、育った地域によって正解の味が大きくかわるのでメインに据えるのはこわい。

インスタなどでよく見る餃子パーティーもすごいなぁ、いいなぁ、と尊敬する。わたしは餃子はもっぱら冷凍食品を食べています。

 

2、お刺身的なものを用意「馬刺」

今回は熊本の実母が送ってくれた馬刺があったので楽勝だった。というか、馬刺があったので開かれた会だったのだ。ふるさとの食材は話題も広がるので重宝する。いつもはデパートやちょっといいスーパーで刺身の盛り合わせを買う。料理上手な夫の友人の家に行くと、お手製なめろうやからすみ(!)が出てくるし、大変おいしいうえにそっちがコストも抑えられるんだろうなとは思うけど、わたしは料理が苦手なんだから仕方ない。ただし、トレーから出して綺麗に盛り付けるのは好きだし結構得意。

いい感じの刺身が手に入らない場合、生魚が苦手な人がいる場合は、専門店のチーズにするときもある。

 

ここまで、1も2もわたしは何も味付けをしていない。

 

3、つくり慣れたものを2品「春雨サラダ、葱入り卵焼き」

茄子の煮びたし、ポテトサラダ、ラタトゥイユなんかのときもある。

何度もつくっていてふだんの食卓にも並ぶことが多いメンツ。とはいえ、もちろん事前につくっておく。

卵焼きは、最初はこんなもん需要ある??と思っていたけど、独身男子で酒飲みの人はわりと卵焼きをたくさん食べてくれる傾向にある。そういえばわたしも居酒屋で頼みがちだしね、出汁巻き。

 

4、チャレンジメニューを1品「海老マヨれんこん」

1品くらい新しいことをやらないと、作ってる方もつまらないので。たいていの場合、3日くらい前にリハーサルと称して食卓に上げている。今回は冨田ただすけさんのレシピ本から。冨田さんのレシピは家にある調味料でできるから助かるし、ウェイパーとかコンソメなどの「~の素」的なものをほとんど使わないのにきちんと落ち着いた味になるから料理下手は毎回感動している。

海老マヨれんこんは、中華料理店でよく食べる海老マヨ的な味付けだけど、揚げなくていいので楽。あと、料理下手としてはれんこんを買う時点で料理が出来る人になれた気がしてうれしい。海老はヨーカドーでいつも買う背ワタがとってある冷凍海老。解凍して殻をむくだけで使えるし、むき海老より立派なので、海老といえばこれ。背ワタの取り方なんて、もはやYouTubeでも見ないと分かんないです…。

炒め物なので、これだけは人がそろってから調理することになったけど、事前に調味料はすべて計量してボウルで合わせておく。

なぜか中華のことが多くて、過去には海老チリ、麻婆豆腐など。これから作ってみたいのはグラタン、豚の角煮。ここで新メニューを克服すると日々の食卓にも役立つ。

 

5、洗うだけ、茹でるだけ、袋から出すだけの1品「ミニトマト

ほぼ賑やかしだけど、わたしは食卓にのぼっているものに全部味がついてると舌が疲れる気がするので、かならず加える。枝豆やブロッコリーのときもあり。

 

以上がきのうのメニューだった。すべて食べきってもらうと、やはりうれしい。疲れるけど、料理教室に1度行くより、人を1度招くほうが断然身になると思う。

しかしこうしてやってみると、正月やお盆に毎年十何人も集まって食べさせてもらっていた祖母の手料理はすごかったんだな、と実感する。おせちはもちろん、柿の白和えや潮汁なんて一生つくれる気がしない。

 

週末はご褒美として一切料理をしない予定だ。外食もまた楽し。

 

日記はじめます

2週間前から産休に入り、料理と掃除以外することがなくてあまりにひまなのでブログを始めることにした。

生まれるまでの産休中、本や映画をたくさん読めるし観られる!と思っていたけど、インターネットばっかり開いてしまう。どこかの誰かが書いたブログを読んでしまう。他人の日常はなんでこんなにおもしろいんだろう。映画も本も、わたしが観たり読んだりして持った感想より、ブログで紹介してあるともっとおもしろそうで意味ありげですてきだ。まだ暑いのにもう今年のコートで悩んでいる人もいれば(コートを毎年購入するという意欲がいい。ファッショナブルな人はお店と懇意になり来シーズンの服を予約して買うということを知った)、風呂場に並べてあるシャンプー、コンディショナー、ボディーソープ類の容器を無印の透明のボトルに詰め替えて「ホテルライク」な風呂場を目指している人もいる。よく食べる人のブログもいい。丸亀製麺で温冷の2杯を食べるなんて斬新だし、あとお金持ちの人の日常は割となんでも楽しい。ハワイのコンドミニアムの取得方法とかに詳しくなった。
朝ごはんは食べないのに、毎日モーニングを紹介してくれる人のブログは大好きだ!

そういうわけで、わたしも自分の日常を好きになるためにブログを始める。職業は校閲、初産の予定日は11月で、女の子が生まれる予定で、夫と東京でふたり暮らしをしている。

回り菓子

回り菓子なるものが、百貨店(ほとんどの場合地方の)の地下一階の菓子売り場の片隅にひっそりと存在していることは、きっと多くの方々がご存知だと思う。思うというのは、わたしは回り菓子を、おやつに、お土産に、ちょっとしたご褒美に、食べつけて育ってきたのに、この存在について、人と話したことが全くと言っていいほどないからだ。

子供の頃に食べた懐かしいお菓子について話すことはもちろんある。そんな罪のないことを話すのは、大抵職場の飲み会だ。それはポッキーのことであり、ジャイアントカプリコいちご味のことであり、ねるねるねるね、のことだったりする。例えば後輩のアヤちゃんが、小学校のときにフランが売り出されて、こんなおいしいポッキー初めて食べたと思いました、と言えば、課長はまぶしげな顔をして、僕は大学生のときにメンズポッキーを彼女にもらってねぇ、なんて甘っちょろい話を始めて、一同がそれなりに色めき立つ。

まあ、フランはポッキーではないのだけど、そんな厳密なこと、誰も職場の飲み会で言うはずがない。

 

そんなときも、わたしは回り菓子の話はしない。それは余りにひっそりとした存在なので、職場の飲み会で話すトピックとしてはやや個人的過ぎるような気がするし、わたしは職場でたくさん話すほうでもないので、もしみんなが回り菓子について知らなかった場合、ディティールについて一から説明するのが億劫だ。第一、職場の飲み会において、下っ端の女子社員が1分以上座を独占して話を続けたら、これはかなりの事態である。そういう会社にわたしはいるのだ。

いや、私の会社の飲み会での立ち回り方などどうでもいい。

 

回り菓子は、ロケーション的には、先ほども説明したように、百貨店の菓子売り場の隅っこにいる。グラマシーニューヨークとかアンテノールとか、もっとぐっと庶民的にモロゾフとか、そういうメーカーみたいにテナントのコーナーになっているわけではない。ショーケースもない。和菓子なのか洋菓子なのかもわからないような場所、もしくは和菓子色も薄れてお茶売り場と佃煮売り場にグラデーションのようにつながっていく通路の隅とか、下手するとカレーやうどんなど、7階の食堂街よりもっとくだけた感じの食券方式によるイートインコーナーの裏手などに存在している。

 

形状は、白い巨大な、直径1メートルほどのドーナツが宙に浮かんでいると想像していただきたい。そして、ぜひ、ドーナツの穴にはぐるぐる回る一本のポールをぶっ刺していただきたい。それらがぜんぶ安っぽいプラスチックでできていて、その巨大なプラスチックドーナツには仕切りがたくさん設けてあり、中にはもちろんいろんなお菓子が入っている。たいがいは小袋に入っている薄焼きビスケット(動物の焼印つき)やあられ、一切れずつ包装してあるパウンドケーキやフィナンシェ、華やかなのは色とりどりのアルミにくるまれた飴やチョコなんかだ。一つ付け加えておくと、アルミは色とりどりでも、その味はどれも同じなので要注意だ!

 

客はそのあたりにきっと置いてあるボールもしくはバスケット(この辺は百貨店によって異なる)に欲しいお菓子を入れていき、レジで重さを測ってもらってお会計となる。従量制なのだ。

 

回り菓子というくらいだから、客はじっとしていて、回転寿司さながらドーナツ型什器がいろんなお菓子を見せてくれるのを悠然と待っていればいいのだけど、大抵の客はドーナツの遅い歩みにたまりかねて、熱心に思案と選択を重ねつつ、自らぐるぐると歩いてしまう。ドーナツの進行方向と反対に歩く人が多い。これはみんな早く次のお菓子が見たいからに違いない。思い余って後ろ歩きになっている。どうでもいい、というふうにポンポンお菓子をカゴに入れていく人はほとんど見たことがないので、パリス・ヒルトン的な思想の持ち主はこのコーナーには近寄らず、したがって真面目で勤勉そうな女性の一人客が概ねである。

什器も回り、真面目そうな客も(しかも後ろ向きに)回り、レジの人はなぜだかどこの百貨店も落ち着いた中年女性ばかりなのだけど(花形の宝飾サロンなどから飛ばされてきたのだろうか、と少し心配になる)、初めて来たデパートで、心の準備なくその光景に出くわすと、余りの無防備な様子にひやっとする。

 

不思議なことだけど、回り菓子は別に安くないのだ。それに、ビスケットにしたってアラレにしたって、普通にスーパーで売っているグリコや亀田製菓のものとさほど品質に違いは感じられないし、スーパーで売っているものは大袋で多少の値引きも加わっているため、回り菓子で同じグラム数を買ったらとても損することになると思う。

重さを稼ぐパウンドケーキなんかをとってしまうと、なんだかんだで600円分くらいすぐに買ってしまうので、それなら所詮は駄菓子に過ぎない回り菓子を買うよりも、よっぽどモロゾフでプリンを二つでも買ったほうがおうちで待っている人も喜びそうな気もする。

でも、回り菓子のファンはそんなことは気にしないのだ。そんなブランドや目先の利益に屈さずにみずからぐるぐる歩いてアラレやビスケットを選びたいのだ。そう考えると、あのドーナツの回りを何周も何周も後ろ歩きする生真面目そうな女性たちに、やんごとなき雰囲気すら感じる。

 

さて、回り菓子のお菓子を一手に作っているのは、株式会社スイートプラザ、という企業だ。

わたしは一度だけインターネットで検索してみたことがある。なんでそんなことをする気になったのかというと、10年前、毎日毎日就職活動で落とされまくっていたあの頃、子どものときから使っていた石鹸の会社も、子どものときから通っていたピアノ教室も、毎日乗っているバス会社も、郵便局も銀行も家具屋も片っ端から落とされて、リクルートのサイト経由ではなく、自分で会社を調べてみよう、と思ったときに最初に浮かんだのがスイートプラザだったのだ。就職活動に疲れ果てていて、あの桃源郷のように世間離れした空間の一角を担っている会社だったらなんだか楽しそう、と思ったのかもしれない。そんなわけはないのだが。

深夜、22歳のわたしは部屋でひとり、期待してクリックしてみた。そんな会社、全くヒットしなかった。

アンドレアス・グルスキー展

 アンドレアス・グルスキー展を観に行った。写真展。

 3500円の図録を買わなかったことを、今さらくよくよと後悔している。

 その後、ちょっと高級なパン屋に寄って700円使い、さらにユニクロで2980円の赤いカーディガンを買ったのだから、それだったらあの図録を買えばよかったんだ、と。

 

 特に手元に置いて何度も眺めたい写真は2枚あって、1枚は郊外のだだっぴろいトイザらスの立体駐車場(?)を撮影したもの。もう1つはスキポール空港のロビーから外の芝生を写したもの。

 

九州のど田舎から(地元の盆踊りの歌詞には「海の向こうは上海」という一節があるが、それは真っ赤な嘘で、対岸は長崎県雲仙市、もしくは熊本県上天草市である)二十歳のときに関西に引っ越して、いちばん衝撃的だったことは、グリコの看板もけばけばしい道頓堀ではなく、平安神宮の桜でもなく、延々と続く梅田の地下街でもなく、小さ過ぎて最初のうちはパビリオンか何かだと思い込んでいた大阪城でももちろんない。

 

 私が一番衝撃的だったのは、郊外だった。ベッドタウンだった。H市、もしくはM市、T市、I市。あるいそういう町の国道脇のショッピングモールにいる、けばけばしい髪の色の、意外と幼い顔立ちをしている少年少女たち。巨大な、24時間営業のTSUTAYA。深夜でも若い夫婦に連れられた幼児が案外おとなしくお子様ランチを食べているファミリーレストラン

 田舎育ちの私にとって、都会の様子はテレビや雜誌を通じて既におなじみだったけれど、郊外は全くの未体験だったのだ。好きではない、と最初に思い、しかし目が離せなかった。胸がざわざわした。

 

関西で、私は当初は大学のある奈良に住み、それから京都市中京区に、さらには左京区に移り住んだ。歴史があり、文化的で、しかも自分を文化的だと思っているような人間が好んで住むようなところをわざわざ選んで引越しを重ねていたのだ。今となってはいかにも過ぎてちょっと気恥ずかしいけれど、アパートの1階は大学生向けに学術書を扱う古書店だった。いつの間にか同じ左京区に住む友達も増えて、その友達はいずれも絵を描いているか、小説か詩を書いているか、もしくは音楽か芝居の熱狂的なファンだった。

私はその頃毎日17時半ぴったりに終わる仕事をしていたので、夕方、下京区の会社から左京区の自宅に戻ってくると、友達にたくさん道で出くわした。そういうことが嬉しく、また、少し誇らしくもあったのだ。挨拶がわりに面白かった本の話をしたり、これからどこかの画廊でやる個展のフライヤーをもらったり。

それは雲仙市上天草市に対岸を囲まれたわたしのふるさとには確かにないネットワークで、しかも、それを自分一人で知らない土地で築き上げたんだ、ということも無邪気に嬉しかった。

 

そういう日々の中でも、仕事で、あるいは友達の車でどこかへ遊びに行く最中に、郊外の風景を目にすることは時々あった。通るたびに、こっそりと注目していた。巨大なショッピングモールを通りかかると、もちろん私も友達もそんな他愛もないところには寄らずに、もっと鼻持ちならない、例えばヴォーリズが建築した府指定文化財の洋館を使った喫茶店だとかを目指しているのだから素通りするのだけど、私は、いつもちらっとショッピングモールの姿を確認せずにはいられなかった。特に、雨の夜など、あたりは真っ暗なのに、その周囲だけ煌々と灯りを放っていて、濡れたアスファルトといい、続々と駐車場に飲み込まれていく車のテールランプといい、目が離せなかった。

さらには、フードコートでソフトクリームを舐めている自分を想像した。だだっ広い店内の、さして座り心地のよくないプラスチック製の椅子に一人でいる私。その私は本も読まず、また小説も書いていないような気がした。私は、友達と買い物に行くと、マグカップを選ぼうが、スカートを選ぼうが、「ああ、いかにもあなたらしいわ」と大抵言われてしまい、褒められているのだかけなされているのだかわからない気持ちになるのだけれど、そういうちっぽけな(そしてこまっしゃくれてプライドの高い)「私らしさ」が根こそぎダイナミックに破壊されてしまうような郊外、もしくはベッドタウンという場所に、抜き差しならない、奇妙な憧れと漠然とした不安が入り混じった気持ちを持っている。

 

アンドレアス・グルスキートイザらスの写真は、曇り空の下にある白い巨大な建物、トイザらスを外から撮っていて、おなじみのカラフルなロゴが片隅に写っている。建物があまりにも巨大なので、ほとんどそれだけだ。それだけなのに、見る人に、確かにこの光景を私はかつてどこかで何度も見たことがあり、そして、そのたびに憧れと不安を抱いていたな、と気づかせる。少なくとも私はそうだった。

 

もう1枚のスキポール空港の写真はもっと上品だ。空港内の床はいかにもオランダらしく清潔で塵一つ落ちておらず、感じのいい枯れたチョコレート色。磨き抜かれた壁一面の窓から、空港の外の芝生が見えている。先ほどのトイザらスの写真と同様、人物は写っていない。それでも、やはり何か差し迫ってくる迫力がある。

 

先日、そのほとんど愛憎半ばする郊外の話をちらりとしたところ、あっさりと一言、

「見ているのが好きなんだね」

 と、特に嫌味なわけでもなく、素直な調子で即答されてしまった。結構ショックだった。

 私はいつまでも見ているだけなのかな、と思う。空港から外へ出て離陸しようとはせず、ショッピングモールを通りかかる車のドアからもとうとう降りずに、ちょっと見て、ちょっとドキドキして、終わってしまうのか。

 

 3500円握りしめて、もう一度行かなければ。