32分休符

感想を述べていこうと思います

名前

娘の名前は夫が決めた。

夫は記者、私は校閲なのでどちらも言葉にまつわる仕事をしているし、響きや文字にこだわるのはいつも私の方なので聞いた人は意外だと言うけれど、それでよかったと思う。

私がつけたら、漢字に思い入れがあるあまり、洋服やアクセサリーを選ぶときみたいに、(センスがいいか悪いかは別として)手頃だけど少し贅沢な感じで、名字と並べてもきりりと締まるとっておきの名前を苦労して考えただろうけど、そうすると完全に私好みの名前を持つ娘を呼ぶたびに所有している気分になりそうだから。

母が娘を所有物のように扱うのはとてもよくない気がするので、夫がつけた「なんとなくかわいいし、かわいい人に多い気がする」というだけの名前は、変わった名前ではないけれど予想外だったので、娘といえどもこの子は突然やってきた自分とは別人格の女性、ということを私に何度も思い出させてくれてよい。

☆ ☆ ☆

今日は土曜で、夫が娘を2時間ほど見たので、池袋でピンク色の夏物のアンサンブルニットを買って(子供を産んでから買い物がとても早くなった)、家の向かいの喫茶店でお茶を飲んだ。喫茶店に置いてあった本は数年前にヒットした『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』だった。おもしろそうだけど、みっちり詰まってるタイプの文体で、しかも翻訳小説だと娘の相手をしながら読み進めるのは難しいだろうなと思ったけど、どうせ読みきれないのに何十ページか読んでしまった。なんなんだこれは。なんの時間なんだ。

「お母さん」でいるときは「お母さん」ではない時間に憧れるし、そういうときはピンク色のニットとか着たくて、でも一人になってどうしてもやりたいことは特になくて、スマホに入ってる娘の写真や動画を眺めたりするし、かといってコーヒーが飲めたら満足というのもまた違ってて、どの道もちょっといったら行き止まりになってる感じがする。

夫と娘と3人でベッドで寝転んでるときは、いつか夫に先立たれて娘が独立して一人で寝るときは、この時間のことを信じられないほど幸福な一瞬として思い浮かべるのかなぁとも思うし、未来に視点を置いてまで現在の自分を幸福だと評価するのは、今を慰めてるだけなのかなとも思う。一瞬一瞬を電気ショックに打たれるようにまぎれもない幸せだと信じられたらよいのにね。